2013年3月 4日 (月)

エリック・クラプトン、70歳でツアー引退 (BARKS) - Yahoo!ニュース

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いつまでも、あの渋いスローハンドギターリード・・聞いていたいなー・・。

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2006年4月13日 (木)

'80年代日本、ニューウェーブの始まりと、世界潮流への影響

 このように、’80年代パンクロックから始まった日本のニューウェーブシーンは、その時、終わりかけていたテクノブーム(日本ではYMO等)の影響もあって、音楽に、それまでなかったまったく新しい潮流を生み出し、それはいつの間にか、世界的な潮流へと広がりを見せ、現在では、数多あるオルタナ系のアーティストにまで影響を与えていく事になるのだが、この時はやはり都心の限られたシーンでしかそれらの存在を確認出ずに、地方や全国的には、単なるブーム、又は全く知られていない異次元の世界のことだったのだ。まとめて”新人類”などと揶揄されることにもなったブームはそれらのニューウェーブシーンの台頭によって作られたものだ。

  さて、日本ではこのようにプラスティックスや、ヒカシュー、(その後はハルメンズ、ヤプーズ等も台頭してくるが)によって始められたニューウェーブロックの流れは、そのでたらめなように見えるがピュアーな歌詞や、アーティスティックな曲作りによって、”パンク”のバラバラに破壊されたイメージ、世界観にピュアな意味づけを与え、特に音楽シーンと、アーティスティックなシーンを一気に近づけ、世界のアーティストシーンに注目を浴びることになる。そして今現在のオルタナ系全盛の時代にあっては数多あるオルタナ系のアーティストに強みと、影響を与えているほどになって行くのだが・・・・・。         

以下長すぎるのでこの辺で終りにします・・・・・。(^^;)                             

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2006年4月 9日 (日)

80年代日本版パンクロックの台頭とニューウェーブロックの始まり-(2)

前回の続きだが、そのように'80年代の新しい音楽シーンはパンクムーブメントから始まった訳だが、僕もそうだが、地方や、全国まではすぐには浸透することは出来なかったのである。それはパンクロックそのものの攻撃性、破壊性が、一般的には受け入れがたく、また他人の真似のすることの出来ない領域にまで当時のパンクロック、そして落ちこぼれに代表されるような社会の負の部分は踏み込んでしまっていた、というのが原因なのだと僕は思う。特に言えるのは、前回のアナーキーにせよ、楽器をうまく演奏することそのものを拒んでしまい、音楽そのものが成立たなくなってしまったと言うこともあった。強すぎる破壊性が自分そのものの破壊にまで及んでしまった。僕はそこでパンクは”終わっている”のだと思った。しかし、そのパンクによって始まったムーブメントはそれでは終わらず、あるひとつの局面から、終わるどころか、現在まで続くこととなったのであった。それが、巷ではポストパンクと言われ、'70年代にすでに始まっていた、テクノブームなどの形を借りて世に出てきた、ニューウェーブロックの連中だ・・・。”プラスティックス”やまた”P-Model”や”ヒカシュー”など・・・・・いきなりメジャーで売るようなことは極力避け、活動を都心などの限られたライブシーンなどに限定していた。未だにこの御三家の音楽は都心のコアなシーンにおいては伝説的でさえあるが、しかし、日本全国を見るとローカルな地域などでは、名前さえろくに知れていないままなのだ。プラスティックスやヒカシューなどは、そういう意味で、当時のパンクムーブメントの中で、地方から見ると、都心の限られたエリアの中で、人気があるが何をしているのかつかみどころがなく、恐れられた存在だったのだ。つながりから行くとだいたい、”アナーキー”、”P-Model"、”プラスティックス””ヒカシュー”といった具合だった。・・・おお、”恐ろしい!!”・・・触れられない!といった感じだ。
 しかし、一方でそれはまったく変わった展開を見せたりもしていた。あのプラスティックスがUSAライブのCDを出しているのは有名だが、そのように海外のライブシーンに踏み込んでいって成功を収めるといったことが積極的に行われたのだ。あの一風堂の土屋昌巳や、"モッズ”などもデビュー前にロンドンライブを行っていると言う。つまり凱旋・・・と言う事、なのだが、  ・・・つまり、かなりのエナジーとパワー!を込めて日本のポストパンク、・・つまりニューウェーブロックは始まったのだ・・・。
僕が関心があったのは、そういうピュアでコアなシーンで活躍していた人たちが、実は海外へも進出していた、と言う事だけでなく、ムーブメントそのものがその時他のジャンルのアーティストたちにも多大なる影響を与えていた・・という事なのだが・・・・・

・・・実は、あの時、”泉谷しげる”も・・海外で”吠えている”・・・アメリカへ単身わたり、ニューオリンズで歌っているのだ!・・・・どうだ!・・・、・・・・その時泉谷を駆り立てたものは、・・・間違いなく、日本の”パンクムーブメント”・・・そしてニューウェーブロックの息吹であったはずだ!(以上、’82年版の某FM誌参照)
・・と、長々と書いてきたが、このようにいまも続く日本のニューウェーブシーンは始まったのである。

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2006年4月 8日 (土)

'80年代日本版パンクロックの台頭とニューウェーブロックの始まり

 またGyaoを見ていたら音楽のコーナーで少し変わった番組を見つけて”ぎょ”っと驚いた・・。
'80年代初めごろ、日本版パンクロックで、少しきわどい危なさで、極もの付きで売っていたバンド「Anarkhy・・アナーキー」の25周年記念の番組だ。  ・・・少し”ぎょぎょ!っと思いながらも「ノットサティスファイ」などの初期の曲を聴いてたら、ああこれが'80年代のパンクブームの真ん中にいて、他にたくさんのニューウェーブ系の人たちを生み出した最初の原動力になった人なんだなーと妙に納得できた。聞いている友達も多かった。
・・・当時の国鉄服に身を包んだスタイルや、親衛隊とのいざこざなどのシーンには少しぞくっと来たが、そのサウンドは今聞いて、抜群に切れのいいピュアな歌詞に、ノイジーなギターをかき鳴らすスタイルで、ほぼパンクロックとしてのスタイルを完全に完成させているように見えるのだが、しかし当時はその”いでたち”もあってか、ちょっと聞いただけで、「・・・いやすぎるー!」(^_^;)っと声を上げたくなるくらい壮絶な(というかひどい)音に聞こえたものだった(笑)。あれから25年と言うことで、その時間もさながら、今も現役さながらにプレイできるそのバイタリティーはうらやましいし、僕も日本で最初のパンクバンドはアナーキーであり、また、パンクロックのスタイルそのものを完成させたのもアナーキーだった(あの真っ赤な髪の毛にモヒカンカットなど)、と言うことが出来て、やっと'80年代の音楽シーンの本当を若い人に証明できたようで少し満足(^^;)したのだった。・・・この'80年代初めにはそのパンクブームに押されてか、実に驚くほどたくさんの人たちが、デビューした。それまでのアーティストも自分なりのスタイルを求めて、模索している時間だった。これまでの音楽などではまったく通じない、箸も転ばない時間だったのだ。アナーキーの結成は'78年と言うことで、名前もあのセックスピストルズの「アナーキー・インザ・UK」からとったということだが、そのパンクに目をつけた早さもそうだが、当時そのピストルズさえも破壊の対象としていた彼らのスタイルは計らずも、パンクロックのスタイルそのものを完成形に導いたようで、そのことに対する評価そのものが、その後のパンクロックシーンの展開に大きく影響を与え続けてきたのだと思う。・・何はともあれその一端を”垣間見れる”のは、その当時高校生だった僕のような音楽ファンも含め、うれしい?事のように思う。
 (同じくセックスピストルズの番組もGyaoにあったが、時代の模写が全然描けてなく、その当時のリアリティーに欠けているのでお勧めできない。ピストルズはもっと格好良いバンドなのだと僕は思う。)
Gyaoサイト

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2005年7月 7日 (木)

ライブ8によせて・・

 今、ひそかに、いつの間にか話題づいていたライブ8ですが、出演者がまたなつかし揃いで(当然といえば当然か・・)再び’80年代にフラッシュバックしているかのよう。話ではあのポール・マッカートニーさんが、一人でビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハートクラブバンド」を熱唱したとかで、(う、うれっしい!なんだか・・・)それだけでもうれしい知らせでした。ポールさんらしい(^。^)・・ポールさんと言えば、その’80年代のはじめごろ初めての来日公演ということで、来日したとき、ある事件により一躍、世間で有名になってしまったという経験を持つやっぱりスーパースターですよね・・(若い人は知らないかもしれないけど、有名です・・)日本のファンの人は今度の記事で、相当うれしかったのでは。そういえば1980年にはまだジョンレノンさんもご健在で、来日して日本のTV(NHK)で「スターティング・オーバー」を歌っていたのも記憶に新しいですが。・・・他の出演者の方もやはり’80年代に活躍した人が多いですねー。Aha-もそうだし、U2、REM、マドンナ、と。デュランデュランがローマというのも似合ってるな・・。忙しい仕事の合間でも、少しうれしい話題でした。

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2004年12月 7日 (火)

坂本氏とシルビアン氏

気付くとこの二人は昨年もアルバムをだしていた。 もうずいぶんなるのに未だにこの二人の作り出したメロディは心に新しく響きますねー。‘83年にプレスされた「Forbidden colors」は聞くたびにココロに染み入る夏の音・・と言う感じでかの日の日本を思い起こさせてくれる。
まだ二人とも現役だったし。しかし当時のsakamoto氏も交流が広く、ほとんど一つのアルバムを製作してる間になんと、三人のデイビットさんとお付き合いしてことがあったのですけど、1人は”デビッド・ボウイ”で、そしてもう一人は”デビッド・シルビアン”で、最後の一人は、な、なんと、とっても意外な人なのですが、あのニューヨークのニューウェーブパンクバンド”Talking Heads”のリーダー、”デイビッド・バーン”だったのです。以外です。イメージも二人まったく違うイメージなのに、ふしぎです。でもバランス的にはバッチリだし、ホント。この二人は’87年だったかにあの「ラストエンペラー」でアカデミー音楽賞?を共同受賞しているんですよね。おいしいです。当時のニューヨークが少し遠い存在だっただけに、あの「ラストエンペラー」の音楽をそのニューヨークのバーン氏が作っていたなんて。  と、また坂本氏のとびっきりのポップ音楽聴きたいですね。  2000年の「LIFE」オペラは世界のいろいろな問題に対して働いてきた坂本氏の一つの答えだったような気がする。坂本氏ぐらいの付き合いと幅の広い音楽をやっていると、この次に何があるか、この次にどんな作品を出すのかで、世界の動きが変わるぐらいの影響力があるようで、新しいうわさを聞くのに少なからぬ期待をを抱かせます。 

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2004年12月 2日 (木)

宇多田ヒカルとザ・キュアーと・・

 旅行中、Walkmanの中にもって行ったのは、ザキュアーのアルバムと、宇多田ヒカル。日本人だと、英語で通じそうなのは、宇多田ヒカルとか、かぎられてますよね。でもさすがにアメリカナイズドされている宇多田ヒカルの曲はアメリカだけでない、向こう(ヨーロッパとか)でも通じると感じましたー。
うーん。特に大きく”抜きん出ている”と感じたのは黒っぽいグルーブ感のある「First Love」。これは他のブラックコンテポラリー系の曲などではたちうちできないくらい黒く感じた。十分通じると感じた。
でもなぜか最近出た2枚目?の「EXODUS」ではグルーブ感が薄くなって、テーマ的に堅く身構えてる感じの歌詞が目立った。もっと自由にのびのびと画いてほしい。家に隠したりするのは卑怯ですよー。お願いします。それから名前をなぜ「UTADA」にしたのか納得できない。何も日本人である事を隠さないでも。「宇多田ヒカル」のままの方が全然よかったと思うのに。 これは最終的にはどのくらい売れるんだろう。?
 
キュアーのCDはパリのVirginメガストアでもちゃんと置いてあった。パリの街中でキュアーの「Bloodflower」とか「May be Someday]とか「Friday I'm in Love」とか。聞いてきました。

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2004年12月 1日 (水)

トラベラー

 「トラベラー」はいいっすよねー。偶然聞いていた「HYPER MUSIC MARKET」で掛かっていた曲で、かなりいいのがあったので紹介しておきます。ナチュラル・パンチ・ドランカーの「トラベラー」。ナチュラルパンチドランカー   おすすめです。   「トラベラー」  なかなかいい。・・うん、ホントです。!
  

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